見返りがなくても働く

働いて、それに対して報酬がない場合もある。
ボランティア活動もそのうちのひとつだ。
思うに、労働力を提供しても、一銭にもならないのに、自分の時間をボランティアや奉仕活動に費やす人は、メジャーかマイナーかと問われれば、マイナーな方だと思う。
ボランティア活動はそもそも、欧米で裕福な家庭の人たちが恵まれない人のために、何かを施すものであり、キリスト教精神に基づいたものだ。それは恵まれない人たちに愛の手ということだろうか。
日本でも似たようなものがある。奉仕活動だ。でもそれは、自分に余裕があるから、手をさしのべるものではなく、自分が労力を提供することが自分の為になるという精神の気がする。
どちらも自分の為、他人の為と定義が異なるだろうが、結局は自分の為なのであろうと思う。
自分に見返りがなくても働く。それで給料がもらえるわけではない。でも自分が働くことで誰かが喜んだり助かったりするのを見ると、自分が誰かの役に立っていると思えることもできる。
ひとりで暮らしていると、自分が日々生活するために働くことしかない。仕事へ行ってお金を稼いでくることもそうだし、自分の身の回りを掃除したりすることも、自分の為だ。
なかなか、やろうと思わなければ誰かのために働くなんてことは今の世の中はないのかもしれない。
家族がいれば、家族を養うために働くだろう。でも家族は家族であって他人ではない。
そう思うと、第三者のために働くとは何の意味があろうかと考えることもある。最終的結論は自分の為だ。そう思わないと奉仕活動なんて続かないからだ。
人によっては、誰かの役に立っている、自分の居場所を求めて一生懸命無償で働く人もいるだろう。それも自己満足のためだ。
だから奉仕活動やボランティア活動をすることを決して全てが善人とも思わない。全ての人に裏があるわけではないけれど、意外と悪人だっていると思う。